泰明小学校のアルマーニは服育と言えるのか?

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こんにちは。ミランダかあちゃんです。

 

かあちゃんが「射手座のA型です」と言うと、たいていの方は「あー ↑ あー ↓」となります。

最初の「あー ↑」は、
「そうよね、そのお気楽さと行き当たりばったりないい加減さは射手座よね」

最後の「あー ↓」は
「あなたみたいに雑で大雑把な人間は、A型の風上にも置けないわ」

おそらくこんな意味が込められているのではないかと。(笑)
そんな時かあちゃんは内心思います。

「ちょっとちょっと、勝手にかあちゃんにレッテルを貼らないでいただけません?」
かあちゃんこの、レッテルを貼られるというのが昔から苦手です。

 

 

学校の「制服」というのも苦手でした。
高校の制服はいかに先生にバレないように、ちょっとだけダーツを入れるとか、スカートのベルト幅を細くするとか
どうでもいいような制服の改造に血眼になっていましたし、
(今考えるとその熱意と時間を勉強に当てていたら、もう少しまともな大人になったのでは?と思う)

ファッション業界に入った時最初の配属先が人事部で、CAさんみたいな紺の制服を渡され号泣しながら帰宅したことも。(笑)

 

そういえば相棒のcocoさんも、「制服のトラウマでいまだにネイビーが嫌いだ」と言ってましたっけ。
ファッション業界には、そういった「みんな同じ」を嫌う手合いがうようよいたように思います。
いつの時代も、新しい時代のファッションを切り開いて着た人たちはみな、今の常識を疑ったり壊したりしながら、新しい文化を作ってきたのですから、画一的な服に閉じ込められるのが嫌いなのは、当然といえば当然です。

 

 

 

かと言って、かあちゃんは制服不要論者ではありません。
おまわりさんが、「斎藤さんだぞ!」って言いながらジャケットの中から手錠出したら怖いし
お医者様が、メイド喫茶のお姉さんと同じ服装をしていたら、「・・・出直そう」って思いますもんね。
大人になれば、社会的役割にふさわしい服というものがもちろんあります。

ただ、まだ社会的役割を担っていない子供の制服って、意味があるんだろうか?
泰明小学校のアルマーニ標準服のニュースを見るたび、かあちゃんふと疑問に思うのですよ。
アルマーニの制服なるものがどんなものかはかあちゃんわかりませんが、
ブランドもの=いい服=服育になるとは、かあちゃんには思えません。

 

 

以前ツイッターでこんなつぶやきを見かけて、かあちゃん激しく同意してしまいました。

・小学校=規律を守りなさい
・中学校=規律を守りなさい
・高校=規律を守りなさい
・大学=好きにしなさい
・就活=あなたの個性はなんですか?

かけっこでも順位をつけず、人間は皆平等で、ルールからはみ出さないことが美徳という教育を受けて来た子たちが、ちょっと気の毒に思えてきます。

社会ってちっとも平等じゃないし、モテ男もいれば大金持ちもいる。
子供の頃から、少なくて安い服を工夫しておしゃれに気を使うもよし、
スポーツで目立てば、おしゃれじゃなくてもモテるんだ・・とか
結婚式にジーンズ履いていくと恥ずかしいんだとか
服を通じていろんな経験をすることの方がよっぽど生きる力になるんじゃないの?とかあちゃんは思います。

 

アルマーニの制服に5万もかけるのなら、そのお金で歌舞伎や名画やオペラやバレエをみて審美眼を育てるとか、
あるいは保健室のシーツを使って古代ギリシャのキトンを着てみるとか
イギリスの裁判官の最高位のバリスターのカツラを毛糸で編んでみるとかね。(彼らの正装はカツラです)
服と文化について楽しく学んだ方がよっぽど服育になると思うんですけどねー。

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